心と体

空しさの行方

空しさについてよく考えます

相談を受けることもあります

最近、アンテナに引っかかったのは

新聞のきたやまおさむ先生のコラム

精神科医で作詞家でもおられる彼も

空しさをかみしめながら生きている

どれだけ詩を書いても著作が多くても

空しいと感じているのだと。

何かを「する」ことで埋めようとしても際限がない

これは身に染みて思います

つい、新たな習い事や趣味をあてがうこと

何かをすることでそれを埋めようと試みます

でも空しさは消えていかないのです

彼はこう書いていました。

空しさを無理に埋めようとする必要はない

味わいながらごまかしごまかし生きていく

小出しにかみしめながら生きていくこと

それを、ないものとして無視していると

いつか空虚というモンスターに襲われる

 

彼ほどの人でも空しさを感じているとしたら

私ごときが空しくても当たり前

もしかしたら空しさ込みの人生なのかもしれません

とりたてて何かを「する」わけでもなく

誰かと一緒の時間でも

ひとりでボーッとする時間でも

ただ「いる」だけで安らげる場所で

空しさをちょっとずつ味わいながら

これからも生きていくことになりそうです

 

最近のお気に入りの居場所のひとつ

庭でひっそり焚火を眺めてます

 

 

 

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傷口 2

前回の続きとして

 

心の傷痕はあえて掘り返す必要はない

フタをしてしまいこんだ欲求(未完の思い)

忘れている(思い出したくない)辛い出来事

わざわざほじくり返すことはない

認知行動療法は

原因はさほど問題にしないで

思い込みやとらえ方にフォーカスする

先入観や思い込みを

別の枠組みでとらえ直すことで

偏った認知を柔軟にほぐしていく

そうすることで少しずつ楽になる

この方法は傷口をえぐらずにすむ

ただ

実際はそう簡単にはいかないのも事実

とらえ方や行動をいくら修正しようと

なかなかうまくいかない場合

心の傷痕にたどり着いてしまう

どうしても問題と向き合わざるをえない

これはとてもエネルギーを使う

過去のとらわれに気づいて

そこから結び目をほどいて

もう一度結び直す体験が必要になる

時間をかけて慎重に

結び目はこんがらがっていて

しかもカチカチに結ばれている

向き合うにはエネルギーがいる

だから伴走者が必要なのだと思う

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傷口

十分に気を付けなければいけないこと

 

心の奥の傷口に触れてしまうこと

いくら笑顔で話していたとしても

まだふさがっていない傷口は

ふとした拍子にパックリと裂けてしまう

別の話題の中だったとしても

傷痕に近い部分に触ると

急に怒りや悲しみが吹き出してくる

まるで裂けた傷口から

再び血が流れ出るように

 

本心は納得していない

フタをすることで何とかしのいでいる

まだまだ癒えていない傷痕

ご本人が望まないのに

あえて掘り返す必要はないし

大丈夫そうに見えたとしても

ご自身の口から本音が出るまで

ゆっくり待ってみる

安心して感情を吐き出せるまで

寄り添いながらそこにいる

 

これは自分への再確認なのですが。

 

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バランス

この辺りは、昨日梅雨に入った。

まだ、5月半ばというのに。

雨は嫌いじゃないけど

心の準備というものがあるのだ。

コロナと共の生活のなかで

暗いニュースばかりなので

いちいち気分が左右されないよう

フラットで客観的でいられるよう

淡々とした心持ちを心掛けていた。

その状態が長引くと、何が起こるか?

ネガティブに引っ張られることがない分

ポジティブな感情まで薄れてくる感覚

傷つくこともなければ、ワクワクもしない

フラットで、ある意味、穏やか

でも、なんだかとてもつまらない。。

あまりにも一喜一憂しないようにしていると

感情がマヒしてくるんじゃないだろうか?

ずっと以前、カウンセリングで

いつもネガティブな思いばかり浮かんで

このままじゃしんどいという相談者様に

客観的にとらえる練習をしていただいた

少しずつ、柔軟に考えられるようになり

ずいぶんと楽になったと喜んでくださった

でも、ある日彼女がこう言った

「最近、なんかつまらなくなってしまった。」

頭をガツンと殴られたような気がした。

あまりに客観視に偏りすぎると

心まで他人事のように思えてくる

客観と主観のバランス!!

長引くコロナ禍の抑圧の日々

感情を抑え、知らず知らずのうちに

私のバランスも崩れかけていたのかも

わがままで好奇心旺盛なチャイルド

五感も六感も取り戻して

内なるチャイルドの声に耳を澄まそう



今年植えた山アジサイ 可愛いな~

 

 

 

 

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不安に向き合う。

少し?間が空いてしまいましたが

不安について書いておきますね。

例えば、パニック障害の場合

また、パニックになったらどうしよう?

予期不安と呼ばれるものです。

電車に乗るのが怖くなったりして

電車や人混みを避けるようになります。

広場恐怖と呼ばれるものです。

学校や会社に行くのが困難になって

ひきこもりやうつになることも。

では、どうすればいいのでしょう?

少しずつ、慣らしていくのです。

なぜなら、不安はずっとは続かないからです。

時間とともに不安は薄れてきます。

それまで、逃げずに向き合うのです。

不安がひどい時は

気をそらすように、窓の外を眺めてみます。

雲の形を動物に例えるとしたら??

とにかく、意識を他に向けるのです。

あるいは

パニックになりそうな気配がしたら

リラックス法を試してみます。

あらかじめ練習しておいた

呼吸法や筋弛緩法、自律訓練法など

自分と相性の良い方法で

なんとか乗り切るようにします。

緊張や不安と、リラックス

それは同時には存在できません。

リラックスしている間は、不安が和らぎます。

不安な場面から逃げずに

少しずつ身をさらすのです。

不安な場面を避けていると

一時的には不安が消えますが

不安はそのまま残ります。

そして、また不安を避ける悪循環。

苦手な場面をスモールステップで

少しずつ、少しずつ慣れること。

キップを買う

改札を通る

各駅停車から、快速へ

誰かと一緒から、自分一人で

不安階層表を作って

簡単そうなところから始めます。

実際に始めるのがムリそうなら

まずはイメージするところから。

そうやって

少しずつ、少しずつ自信が持てるように。

このエクスポージャー(暴露法)は

強迫性障害にも使われます。

中々、書ききれそうにありませぬ。

つづきは、リベルテで。(*´д`*)

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評価されなくても。

リベルテの評価シリーズ?の最後です。

私たちは、評価されたいのが普通で

だったら、楽して評価されるといいねって

そんなことを書いてきました。

じゃあ、評価された時だけ「I am ok」で

評価されないと「I am not ok」なの?

それはちょっと違いますよね。

「I am ok」になれないとか

「I am ok」に変わりたいとかじゃなくって

元々、私たちは「I am ok」なんです。(*´ェ`*)

「I am ok」なんだけど、上手くいかない

現実の自分はこんなもんだし。(;゚∇゚)/

どうしたら評価されるのかなぁ?

そこで、あれこれ工夫する訳です。

つまり、これは「I am ok」前提のお話です。

勉強や家事や仕事で評価されなくても

ただそこにいてくれるだけでいい。

評価されなくても、私たちの価値は変わりません。

そりゃあ、評価されるにこしたことはないけど。

いてくれるだけでホッとしたり

顔を見てるだけで嬉しかったり

「存在」が認めらてもらえると

とっても安心して、幸せな気持ちになれます。

もし、それが叶わない環境だとしたら

なるべく、そういう人の側に行きましょう。

褒めてくれたり、大事だよといってくれる人

「しょうがないな~。」と頭を撫でてくれる人

もちろん、探すのは結構大変ですよ。ι(´Д`υ)

でも、数打てば当たりますから!

これは、私の実証済です。

さあ、根気よく探しましょうか。(◎´∀`)ノ

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評価されるかも!

前回のリベルテのブログで

「評価されたい」は、人間が本来持ってる欲求で

私たちは、大昔から集団に属して、社会的動物として

その中で、評価されることをよしとして生きてきた。

だって、評価された方がメリットがあるもん!

そんなことを書かせていただきました。

じゃあ、評価の基準って何でしょう?

1 例えば、成果。

役に立つか、立たないか。

どれだけ貢献してるか。

2 例えば、協調性。

仲間内のルールが守れるか。

コミュニケーションが上手か。

3 例えば、魅力。

その人が魅力的かどうか。

などなど色々ありますが

ひとつが苦手でも、他でカバーできればいいのです。

コミュニケーションが苦手だったり

協調性がなかったりしても

成果を上げれば評価されますし

あるいは、魅力があれば評価されます。

得意なところで評価されるように工夫する!

それが少ないエネルギーで評価されるポイントです。

苦手を克服するには、ものすごいエネルギーが必要です。

そのわりに、成果はなかなか出ません。┐(´-`)┌

それが得意な人には、とうていタチウチできない。

クライアントさんで、アイラインがすごく上手な方がいました。

ブラウンのラインが流れるように描かれていて

その跳ね上げの角度と、最後のスーッとした抜き具合

しかも左右対称の仕上がり!

ブラックじゃなくてブラウンが雰囲気に合ってる。

う~ん、これはもはや芸術的な領域です。

不器用な私が何時間かけてもムリです。(;д;)

コミュニケーションが苦手な彼女ですが

すごくセンスがいいし、癒し系なのです。(*´v゚*)ゞ

この魅力を生かさないのは、もったいない。

受け身のスペシャリストを目指すのもありですぞ。

もし、話しかけるのが苦手なら

話しかけられやすい人になればいい。

受け上手を狙うわけです。

話を聞いた時の表情だとか、ノリとか

リアクションの研究したりして。(*^.^*)

要は、評価されればいいんですから。

元々自分が持ってるもので、ひと工夫。

もしかしたら、少ないエネルギーで

楽して評価されるかも!;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

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評価されたい?

リベルテで心理カウンセリングを受けられる方で

評価についての悩みは、とっても多いのです。

「もっと、皆に評価されたい。」

「もっと、皆に認められたい。」

これって人任せで依存してる?

自立してない人のセリフ?

そんな単純には片付けられないことです。

これらの願望は、あっても構わないんじゃないかなぁ。

というか、元々人間の持っている欲求なのです。

なぜって、評価が高いほうがメリットが大きいから。

う~んと昔、狩猟してた時代から

集団の中で協力しあいながら

私たちの祖先は生き延びてきました。

食糧を分け合ったり、敵から身を守ったり

配偶者と出会ったり、子供を育てたり

生きていく上で、集団に属することは

なんだかんだメリットが多いんですよね。

この戦略を、私たちは今もちゃんと受け継いでます。

社会に属していれば、メリットがありますから。

さすがに、私は狩りはしませんが

お肉を手に入れたり、蛇口をひねれば水が出たり

病院に行けたり、学校で学べたりします。

これらは、社会に属してる恩恵です。

よっぽど、サバイバルな訓練でもしてない限り

孤独では長生きできないわけです。

孤独がイヤなのは、寂しいからだけじゃなくって

メリットが少ないからイヤとも言えます。

社会は、一種のデータバンク(資源)です。

評価の高い人ほど、資源がたくさん与えられる!

これが、生きていく上での現実なのです。

だから、評価されたいと思うのが普通です。

その欲求は、悪いことでもなんでもない。

エネルギー源として使ってもいいですし。

じゃあ、やっぱり評価されないと「I am not ok」ってこと?

つまり、評価された時だけ「I am ok」?

それは違いますよ~。

評価されなくても、あなたは「I am ok」です。

続きは、また今度にしましょう。(*^.^*)

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肩を下げてリラックス

私たちは緊張すると、どうしても

肩に力が入って、肩が上がってしまいます。

すると肺が圧迫されて、呼吸が浅くなってきます。

緊張すると息苦しいですよね。(;;;´Д`)

なので、意識して肩を下げましょう。

筋弛緩法も自律訓練法もですが

まず、体からリラックスした状態に持っていきます。

リラックスしている時は

ストーンと肩の力が抜けていて

ゆっくり呼吸しています。゜.+:。(*´v`*)゜.+:。

毛細血管の隅々まで血液が流れ

手足がほんわか温かいのです。

なので、先にその状態を作ります。

息を吸いながら肩を上げて

息を吐きながら、ストンと下ろします。

何度か試していると、だんだん落ち着いてきます。

今度は、胸を広げて肩甲骨を縮めます。

そのまま、肩を上げてストンと下げましょう。

がんばり過ぎないのがポイントです!

面接やプレゼン、好きな人に告白する?など

いろんな緊張する場面で使うことができます。

先に少し時間をとって、肩の力を抜いてから

いざ出陣という感じです。ψ(`∇´)ψ

(両想いになれるかは、別件です。)

子供のことでイライラしてる時も

かなり呼吸が浅くなってるはず。

そんな時も、肩をストンと下げてゆっくり呼吸。

新鮮な酸素を取り入れましょう。

何かいい案が浮かぶかもしれません。;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

もうひとつの利点は、美容面です。

背中~肩、首、頭、顔まで皮膚は繋がっています。

肩を下げることで、お顔もリフトアップ!

リラックス、おまけにリフトアップ。

試してみる価値がありそうでしょう?

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可能性

リベルテの前の寿公園は

すっかり葉桜となって

新緑がさわさわと風を受けています。

いつか高遠の桜を見に行きたいのですが

今のところ実現していません。

混雑するから、朝早く出発したいのですが

早起きが苦手なので、足踏みしてるのです。(^-^;

それで今年は、いつもと違う桜を見ようと

高浜の大山緑地公園に出かけました。

ここの桜はおすすめだよ、と聞いたので。

Cimg2078 とっても風情がありました。

ハデではありませんが、すご~く私好み。

静かで、ハラハラ落ちる花びらの音まで

聞こえきそうな感じ。゜.+:。(*´v`*)゜.+:。

Cimg2083 なんだか素敵でしょう?

行ってみて本当によかった~!

すっかりお気に入りの場所になりました。

高遠に行く可能性が低かったとしても

それに近い可能性を拾うことはできます。

お花見に行こう!と思えば

可能性は無限に広がります。

思わなければ可能性はゼロです。

私たちは、できることは制限されていても

したいことは制限されているわけではないのです。

「もし、何をしても神様が尻拭いしてくれるとしたら?

あなたは何がしたい?」

とんでもないことが浮かんできても大丈夫!

だって、それが難しかったら

それに近いことをするだけでも

かなりハッピーな気分になれるから。

何もできないわけじゃないのです。

可能性の枠をもう少しだけ、広げてみませんか?

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